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高校時代、ハイジャンプ(走り高跳び)の選手として活躍(インターハイ全国11位)、大学からスポーツ特待生として推薦入学の誘いがあったがすべて断り、それまで秘めていた歌手への道を進む事を決意する。
最初は反対していた両親もその熱意に負け、一年という約束で上京。とりあえず会社勤務をしていたが、たまたま雑誌で見た故・米山正夫氏の歌謡学院に入門する。その後、「小野 満とスイングビーバーズ」の専属歌手となる。
昭和53年「燃えろ赤ヘル僕らのカープ」でソロデビューする。その後昭和62年に作詞家荒木とよひさ氏の元へ弟子入りする。